スポンサーリンク
令和初のお盆です。
実家に帰り、墓参りをしてきました。昨年亡くなった父親の墓です。
先祖について思ったことを書いてみました。
目次
この世にうまれたことが奇跡?
よく聞くフレーズですね。
さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」的ですか?
僕の両親が出会うことがなければ、自分は今この世にいないと思えば、確かに奇跡ですね。
自分の両親、僕の妻、僕の子どもたち。
皆、先祖の出会いがなければ、生まれてくることはなかったわけなので、奇跡的なことです。
先祖と祖先という言葉がありますね。
同じ意味で使われることもありますが、「祖先」は、進化する前のものとして使われるようで
す。
そのため、家系の代々の人々を表す場合も、先祖は数世代前までの新しい系統をいい、祖先は
何世代も前の古い系統を指していうことが多いそうです。
また、「猿は人類の祖先」とは言いますが、ご先祖様ではないということです。
違いがはっきりしました。
先祖の数は20代遡ると約104万人、祖先の数は209万人にもなるそうです。
自分の両親を1代前として、倍々していけばなるんでしょうね。
このうち、誰か1人でも欠けてたら今の自分はいないことを考えれば、血脈を絶やさないとい
うことは、とても大事なことだと、あらためて気づきました。
よく「子孫繁栄」と言いますが、ただ単に子供を産む、という単純なことではないということ
ですね。
ご先祖様は子孫を見守ってくれているのか?
どう思いますでしょうか?
そうであってほしいとは思いますが、普段ご先祖様のことを考えていない僕の場合は、虫がよ
すぎる気がして、見守ってくれなくても文句は言えません。
実際のところはどうなんでしょうね?
僕が思うには、ご先祖様は子孫を心配して見守っていると思いますが、条件付きです。
スポンサーリンク
子孫であるという理由だけで、無条件に先祖に守られることはないんじゃないかと。
僕が先祖だったら、1回も墓参りしないような子孫は無視です。
ただ、その子孫の母親や父親が墓参りもしてくれて、自分がとても可愛がっていた子供なら、
ちょっとは考えるかな。
なぜかというと、まさに僕がそういう子孫だからです。
墓参りが1年の中での必須の行事ではありませんでした。
小さいころは父親に連れられ毎年行ってましたが、特に地元を離れてしまってからは、まった
く行ってません。母方のお墓も他県にあり同様に行ったことはありません。
最近、ここのところ何もうまくいかないのは、今まで墓参りしてこなかったからか?
と、その原因をご先祖様のせいにしていました。
習慣として墓参りをしている人たちは、もしかしたら皆人生うまくいってるんじゃないか?
でも、もしもその考えが間違ってないのであれは、これは自分に原因がありますので、しょう
がないですね。
ご先祖様と交信できるのはお墓だけ?
うまくいく、いかないは別として、やはり先祖へ思いをはせることは大事だと思います。
今回、父親の墓参り(現在父のみ)に行きましたが、父が亡くなったのは昨年なので、まだ頻繁に思い出します。
あと、小さいとき一緒に暮らしていた母方の祖母もたまに頭に浮かんできます。
墓参りに行けないのは、これからも変わりません。
ただ、あらためて自分の存在が奇跡的であると気づいたので、広い意味でのご先祖様に日ごろ
より、感謝の思いをテレパシーで伝えたいと思っています。
「お墓でなければ届かないよー」と性格の悪い先祖の誰かが言うかもしれませんが、それでも
いいです。
日々の生活の中で、広く先祖のことに気をめぐらすことを日常のひとつにしようと思います。
息子たちにも、「血脈を絶やさない」ことの大事さを伝えたいと思います。
よこしまですが、そうしていたら先祖軍団の誰かがご褒美をくれるかも知れません。
いえいえ、けして期待しているわけではありませんよ。
スポンサーリンク